一枚の写真がその人の宝物になって欲しい(写真のたなかや)
最盛期には神奈川県内で280軒ぐらいあった写真館も今は66軒ほどとのこと。
カメラマンとしても経営者としてもいろいろな壁があったと思います。
どうやって乗り越えてきたのでしょう。
『卓越した技術を持つ写真師』としてかわさきマイスターにも認定されている写真のたなかや・代表取締役 鈴木克明さんへのインタビューです。
〇今もカメラマンとして第一線で働いていらっしゃいます。写真を撮る仕事と写真を処理する仕事ではどちらのほうが好きでしょうか。
どちらも面白いですが、どちらかと言えば写真を撮るほうでしょうか。
50歳以上限定なんですが、今ちょうど『輝く女性』というキャンペーン(平成29年7月)をやっています。
そのぐらいの年代になるとだいたい子育ても終わって自分の自由な時間もできますが、なかなか写真を撮るところまで考えがいかないですよね。
「20年30年経ったときに『輝いている写真』があると自分の宝物になるだろう」と、それでキャンペーンをやっているんです。
私と同じような年齢の人を撮った方が、気持ちが近づくというか楽しいですね。
ライティングとかポーズとか表情とか、ご自分では気が付かないところを見つけてあげて、カラードレスも何十着とありますから無料でお貸しして、美容師もいますからメイクもして、まあ変身ということではないですが、ご自分の一番いいところを出してもらって『輝いている写真』を撮りましょうと・・・。
写真がその人の宝物になって欲しいですね。
〇その人の財産になる一枚のためにシャッターを切るということですね。
証明写真でもそうですよね。
ただ撮るだけではなくて、いろいろ言葉をかけてその人の一番いい表情を引き出して、「これは今までで一番よく撮れた写真だな」って言ってもらえたらうれしいですよね。
〇一回の撮影で何枚ぐらい撮るものなのでしょう。
そうですね、どういうシチュエーションで撮るかで違ってきますが、『輝く女性』の場合で50カットぐらいでしょうか。
まあ自分が納得できるまでですね。
パッといい表情が出ればいいですが・・・表情とか、半身か全身かとか、あとは背景で変化をつけます。
写されたご本人が一番いいと思うものとカメラマンが思うものとはやはり違うんです。
写真作家だと小説家と同じで自分がいいと思うものでいいでしょうが、うちは写真館という仕事ですから、お客様に選んでもらうために、マイナスのイメージではなく、「一番喜んでもらうための写真を撮る」、そういう狙いで撮ります。
〇写真の道に進むことはいつ頃決めたんでしょう。
写真の仕事を考えたのは高校2年の夏頃でしょうか。
うちが写真屋だったので自然にこの道に進んだという感じです。
大学に入った頃に今まで白黒の写真だったのが一般の人たちが自分で撮れるカラーが出てきて、「これから写真館ってどうなるかな」という心配はありました。
〇一般の人たちが写真館では撮らなくなるかもしれないということですね。実際はどうだったんでしょう。
高津警察署の隣の支店で警察の免許証の写真を撮影しているんです。
二俣川に運転免許試験場がありますが、地元の警察で免許の更新を受け付けているところもあります。
高津の場合は警察で受け付けているんですね。
その頃から車社会でだんだん免許を取る人が多くなり、運転免許用のスピード写真で一日に何十人といらしゃいましたから、毎日忙しかったんです。
その当時は一般の記念写真の撮影は少なかったですね。
今は七五三とか入学とか、成人とかウエディングとか写真を残そうという要望が多いですが、昔は成人式の写真は、成人式の日その一日だけでした。
成人式の日だけでもお客様が20人もいなかったり。
私の母が一人で撮影していました。
今は前撮りといって一年中撮っています。
〇カメラマンとして苦労したことはありましたか。
そうですね、失敗したときというのはやっぱりキツイですよね。
私が20代前半の時、七五三の写真で前撮りはなくて、写す日は七五三の日か、その前の日曜日か土曜日か、だいたい決まってたんですね。
で、カメラも新しく替えて七五三を撮ったんですが、夜、現像したら写ってない。
フィルムが素抜けなんです。
ところどころは写ってるんですけど、「あれえ」と思って・・・で、よく見たら、レンズにXとMというストロボ用とフラッシュバルブ用の2種類の接点があるんですが、レンズも新しくしたもんだから、それがズレてたんです。
フラッシュが点く少し前にシャッターが開いて、点いた瞬間にレンズに光が飛び込んでシャッターが閉まると、そのタイミングが違うんですね。
パッと光った後にシャッターが開いて閉まる。
フラッシュは光るから、現像してみないと分かんないんですね。
それで翌日、お金を封筒に入れてお詫びに行きました。
お金を受け取る人もいましたが、ほとんどの人が「いや、撮り直しに行きますよ」って言ってくれました。
遠くの人はもちろんできないんでお金を返してと大変でした。
そのときは「信用なくなるから写真の仕事はもうできないな」なんて思いました。
でもその翌日も仕事があって、その人は失敗したってことは知らないわけです。
で、仕事をさせてもらいましたけど「ありがたいな」って思いました。
それからもお客さんが来てくれてありがたかったですが、「写真って怖いな」って思いましたね。
昔はフィルムを巻き上げないと次の新しいコマが出てこないんです。
それを忘れると同じ個所で何枚も撮るわけで『二重撮り』になってしまいます。
そんなこととか、あとは引き蓋です。
カメラによって、写すフィルムの部分をカラーだったり白黒だったりフィルムホルダーを取り替えるんです。
取り替えるときに光が当たっちゃいけないから、引き蓋をして光が当たんないようにするんですが、カメラにフィルムホルダーを装填してから引き蓋をはずすのを忘れ、写っていない。
失敗はいろいろありますけど、失敗したらそれが経験になるんです。
その時は初心に戻って乗り越えていかなきゃいけないですよね。
カメラも進化して、今はデジタルだからカメラの後ろで見れますよね。
そういう点で誰でも撮れるようになりました。
写真を残しておきたいっていう気持ちは誰にでもあるんです。
だから「ちゃんとしたものを残しておきたい」、「いいものを撮りたい」という人はプロのところに行く。
そういうことでしょう。
〇これから写真をやっていこうという若い人に声をかけるとしたらどんな言葉をかけますか。
まず写真が好きになることですね。
そして相手のいいところを撮ること。
お客さんの写真ですからお客さんに喜んでいただいて感動していただける写真を撮ってもらいたいです。
あとは自分が勉強することでしょう。
人間を撮りますから、写真だけではなくていろいろな本を読んだり、人と接したり、経験を積むことです。
対人間なのでその人と会話も自然にできなくちゃいけない。
若いとなかなか偉い人の前にいくとしゃべれなくなりますけど、いろいろな人と付き合う機会を多くするといいと思います。
同年代でなくて年の上の人でもね。
いろいろな団体に入って、そこで勉強して経験するのも一つです。
お年寄りと話してどんなことをお年寄りが考えているのかとか、そういうのが勉強になります。
なんでも勉強になりますね。
自分が飛び込んでいかないと自分の考えだけになって狭くなっちゃうかなと思います。
私も写真館協会という全国組織に入っていて、そこの広報部長、副理事長をしてましたが、どんなことをすれば団体がよくなるかいろいろ考えて提案もしました。
月に一回、広報委員会があるんですが、そこで「機関誌をもっと読んでもらいたい」という話が出たときに、「よくやっている写真館を紹介すればみんなもっと読んでくれるんじゃないんですか」って提案したんです。
そしたら「それはいいね。じゃあ、あんたやってくれ」ということになって、「えー」って(笑)
それで取材に行って写真を撮って、インタビューした内容を項目別に書いたんです。
そしたら「これじゃダメだよ。ちゃんと読めるような文章にしなくちゃ載せられないよ」って言われて、それでまた会話したような文章に直して、「これならいいだろう」って、やっと記事になったんです。
それから隔月で連載することになって関東7都県を取材して廻って、結局は二巡しました。
それが終わったら今度は全国組織の全国誌でもやろうということになった。
函館によくやっている写真館があるから、そこを取材してもらおうと函館の広報部長にお願いしたら、「いや、そんなのやったことないからできません。本部から来てくれ」って、それで「行ってくれる」って言われて函館に行ってと・・・。
それが13年ぐらい続いて役目を終えましたが、全国ほとんどの県を廻りました。
そういうのも団体の役に立てばいいなと思ってですね。
団体のために自分が何ができるか、どんなことをすれば団体がよくなるか、そういう団体に入ればいろいろな考えも出てきますしね。
後から考えると自分のためになったなって思います。
違った環境に飛び込むっていうのも必要でしょうね。
〇これからチャレンジしたいことはどんなことがありますか。
そうですね、あまり先のことは考えていないですが、地域の活性化を考えていきたいですね。
高津区民祭という夏のお祭りが7月の最終日曜日にあるんですが、店の前の通りが半日通行止めになってパレードが来たりして20万人ぐらい人が出るんです。
本店前に駐車場がありますが、そこを開放してロータリークラブが「歯の健口広場」をもう10年ぐらいやっています。
高津区内の歯医者さんが20人ぐらいで歯科指導をしたり、歯科衛生士の学校から生徒さんが今年は70人来て歯の磨き方の指導をしたり、歯医者さんから1000本歯ブラシを提供してもらって、ディズニーランドの券とか電動の歯ブラシとか用意して、無料でガラポンの抽選会をやるんです。
そうすると200人ぐらいの人がずっと列をなして、一番賑やかなんですよ、ここが。
最初、ある歯医者さんに相談したら「そんなの無理だよ。大山街道でそんなことできないよ。止めた方がいいよ」って言われたんです。
でも「やりたいな」と思って、高津区の歯科医師会の会長さんを紹介してもらえたので相談したら、「歯科医師会で今までそういうことをやったことはないけど、まあ、やってみましょう」となったんです。
そしたら歯科医師会も「区民と会う活動の場ができた」ということで喜んでくれて、それで10年間続いています。
歯科医師会の活動計画の中に入っていますからこれからも続くでしょうね。
それはうちの営業ではなくてですね、私は虫歯が一番嫌なんで、痛くって。
で、歯を大事にしなきゃいけないなって思って、それで歯医者さんに区民の方を指導してもらおうと考えたんです。
あまり写真のことは考えてないですね(笑)
あと思い出すのは、ここから大山まで歩こうと・・・。
ここは『大山詣り』の道だったんです。
昔、江戸から大山まで歩いて、お詣りをして、大山から平塚に出て平塚の海岸から船に乗って江戸に帰る。
落語にも『大山詣り』という噺があるんですよね。
それで、若者の団体(高津青年会議)が「じゃあ我々も大山まで歩こうよ」って。
10月頃でしたかね、朝の4時にそこの信号の所に集まって、手甲脚絆を借りて白装束で、何かあった時のために一台車に伴走してもらって。
みんなで歩くとバラバラになるんで、道に迷っちゃいけないと思って私が前の晩に徹夜で地図を作ってコピーをして、寝てなかったんですけど私も歩きました。
結局、9人で行って大山の下社まで完歩したのは2人だけでしたね。
私も途中までしか歩けませんでした。
それから何年か後に、夜、そこまで行ってまた歩いたんです。
歩いて伊勢原まで行ったらそこで夜が明けて、「もう疲れた」って電車に乗って帰ってきて、で、また何年か後に伊勢原まで行って、そこから大山の山頂まで歩いてと、何年か越しでやっと地図上に線が引けました(笑)
高津には、大山街道とか多摩川とか歴史の遺産がありますから、何か地域の活性化に繋がるイベントができたらいいですよね。
◆ 写真のたなかや
神奈川県川崎市高津区溝ノ口4丁目 6-28
電話 044-822-3466
営業時間 平日 9:30~18:30
土/日/祝 9:00~18:00
ホームページ http://www.photo-tanakaya.co.jp/