準備をして挑めば何だってできる (琴平神社・志村宮司)

画家としても活動している琴平神社宮司の志村さんは、若い頃、自転車で日本を一周したことがあるそうです。

一人旅は苦労も多かったと思います。

どうやって乗り越えたのでしょう。

琴平神社 宮司 志村幸男さんへの”Challenge”インタビューです。

 

 

〇自転車で日本一周の旅をしたことがあるそうですね。旅に出るきっかけは何だったのでしょう。

私は、もともと自然との触れ合いが好きな人間なんです。

絵も好きで描いていましたけど、山に登ったり、冒険好きでもあったんですよね。

足でいろんなものを確かめながら、距離を感じたり、風景がゆっくり変わっていくのを見ると絵のイメージがどんどん湧いてくるんです。

車や飛行機でビューンと行くよりも一歩一歩行くと、あそこは遠かったなって実感が湧きますから、遠いところをイメージして絵に表現できます。

 

「サイクリング、サイクリング・・・」っていう歌があったじゃないですか。

サイクリングってなんか夢があって、楽しいものだというイメージがありましたね。

それと当時、キャンピング仕様のいい自転車があったんです。それで「あー、やってみたいな」という衝動にかられたのは確かですね。

クロモリ鋼(クロムモリブデン鋼)という軽くて強い金属を使ったブリヂストンの自転車があって、それが欲しくてアルバイトをして買ったんですが、高かったですよ。

当時で20万円ぐらいしました。

親子丼が260円とかラーメンが250円とかいう時代ですから、結構いい値段ですよね。

 

だいたい80日間ぐらいで日本を一周できるだろうと計算していましたが、結局84日かかりました。

50kgぐらいの荷物を積んで、観光を兼ねていろいろなところの写真を撮りながら、だいたい1万㎞ぐらい走ったと思いますね。

天候が悪いときもあるし、身体の疲れもありますから照らし合わせながら、行けないときにはそこに連泊もしました。

地図を見ながら、今日はこの辺まで行こうかなと見当をつけてと、あまり予定を決めずにほとんど行き当たりばったりの旅でしたね。

 

当時、国学院大学という大学に行っていましたが、日本を一周するって宣言して、大学の新聞にも載せてもらっていましたから、皆さんに見送ってもらって出発したんです。

だから帰るに帰れないですよね(笑)。

でも、逆にそうじゃなかったら途中で挫折していたかもしれないです。

皆が応援してくれていると思えばあきらめるわけにはいかないですからね。

スポーツもそうじゃないですか。

応援してくれる人がいるから頑張るんですよ。

そうじゃなかったら、私なんかもたぶん途中で止めてますね、きっと(笑)。

最後まで続けられたのは、周りの応援のおかげだなと思っています。

 

〇自転車での旅ですから危険なこともあったのでしょうね。

その頃はここ(志村家)に来るとは思ってませんでしたから、危険なことばっかりやってましたね(笑)。

狭い道なんかで横を大きなトラックが通ると、体がスーッと引き込まれていって顔のすぐ横をロングボディがヒューッと(笑)。

乗用車との接触事故なんてしょっちゅうでしたし、何度かぶつかっています。

自転車も重い荷物を積んで結構なスピードで走るのですぐには止まれないんです。

それで乗用車が追い抜いて行って左折するときに横っ面にぶつかっちゃう。

でも避けない方がいいんです。

逆にぶつかっていって跳ね飛ばされたほうがいい。

巻き込まれて車の下にもぐっちゃったらかえって大変なことになります。

 

昔は、舗装された道路ばかりじゃありませんからね。

写真を撮るのに夢中になってズルズルズルーって崖から落ちちゃったり(笑)、田舎の方では野犬に襲われたこともありました。

 

家族も心配していますから、毎日電話で無事は知らせることにしていました。

10円玉を持って公衆電話から電話をかけて、「3回コールして切れたら無事な合図」と決めておいたんです。

家の人には決まった時間に電話口で待っていてもらって、コールがあっても受話器を取らないで置いておく。

3回鳴って切れたら、「あ、今日も元気だな」ってわかる(笑)。

これで電話代が浮きましたからすごく助かりました。

安心を届けるには一番いい方法でしたね。

 

〇旅の中で印象に残っているのはどんなことがありますか。

やっぱり北海道の大自然の雄大さですね。

洞爺湖でテントを張ったときなんかは目の前に昭和新山がドーンとあって、空が真っ青で、湖畔には誰もいませんから一人で独占したみたいで「でっかいどう」を感じましたね。

それと北海道の道。

直線コースの長さは半端じゃないんです。

長万部の方に行ったときは、とにかくもう走っても走っても、全然景色が変わらなくて嫌になっちゃうぐらい。

どこまで行ってもずーっと真っ直ぐなんです。

あっちの人は感覚が違うんで、道を聞くと、「ちょっとそこ行った次の信号のところ」って言うんですけど、10キロぐらいあるから、はるか先なんです。

走っても走ってもまだかって。

そういう距離感というのは自分の足で走らなければ実感できないです。

 

海だったら浜辺とか、河原とか野原とか、あちこちテントを張って、地元の人と話をしながらゆっくり行くと、少しずつ方言が変わっていくのがまた面白いんですね。

こっちから東京を出てすぐ茨城でしょ。

利根川を渡るともう違う世界です。

そこからどんどん北上して福島、宮城、岩手と、川や峠を一つ越えると言葉が変わる。

青森の北の方に行くと言葉が通じないぐらいに違う。

北海道に入ると標準語になるけど、アイヌの方に行くとまた違う。

方言や文化の違いを肌で感じられます。

飛行機でビューっと行ってしまったら途中の面白さは味わえないですよね。

 

ときどき民宿にも泊まりましたが、ユースホステルというのがあって、お寺や神社のユースというのもあるんですよ。

ユースは地図にも載っていて、当時は一泊600円ほどで泊まれましたから、安かったですね。

 

〇辛いこともあったと思いますが、乗り越えられた理由は何だと思いますか。

旅の中ではいろいろ美しい景色があったり、楽しみもたくさんありましたけど、言葉をかけていただいたり、何かを下さったり、皆が応援してくれるのが本当にうれしかったですね。

自分一人で旅をしていると不安になることもあるので、そういう応援がすごく力になるんです。

苦しいときに人に助けてもらうありがたさ、人の情けというものを知ることができました。

震災があったりして困っている人がいると助けたいという気持ちが出るのは、そういう経験からきているのでしょうね。

辛い思いをしていれば、些細なことでも幸せに感じます。

若いときに旅をさせろというのは、「困った状況でいろいろな人と触れ合って、初めてありがたさがわかる」、そういうことだと思います。

 

神社でも、お囃子ってありますけど、あれは応援して盛り上げているんです。

「囃し立てる」というのは悪い言葉じゃなくて、「賑やかにして応援する」、そういう意味なんですよね。

気持ちというのは一人で頑張っても限界があります。

誰か気持ちを押してくれる人がいないとダメです。

人の応援というのはそういうプラスの力になります。

 

旅に出る前は、富士山に登ったり、この辺りの峠を越えたりしていましたから体力には自信はあったんです。

大学のハイキング・クラブにも入って、50キロぐらいの荷物を背負って山を登ったり、水を飲まずに「どこどこまで行こう」なんてやっていましたから精神的にも鍛えられました。

ああいう経験がなかったら大変だったでしょう。

途中で嫌になって帰ってきちゃったかもしれないですね。

訓練を積む助走期間があったから挫折しなかったんでしょう。

何事も準備が必要で、いきなりポーンと跳ぶのは無理があります。

準備をして挑めば何だってできると思いますよ。

 

◆武州柿生 琴平神社

神奈川県川崎市麻生区王禅寺東5丁目46−15

TEL  044-988-0045

本殿参拝時間  8時~16時(儀式殿は24時間参拝可)

http://kotohirajinja.com/