仕事も経営もすべては決断から(本間寄木美術館)

箱根寄木細工伝統工芸士本間昇
箱根寄木細工伝統工芸士の本間昇さんは、16歳から箱根寄木細工の道に入って70年。

第63回「日本伝統工芸展」で日本工芸会新人賞を受賞し、今年もまた出品したとのこと。

職人としても経営者としてもいろいろな壁があったと思います。

どうやって乗り越えてきたのでしょう。

箱根寄木細工伝統工芸士 本間昇さんへの”Challenge”インタビューです。

 

 

〇若いときは何度も嫌になったと本にお書きになられています。一番嫌だったのはどんなことでしょう。

うちにも若い人たちがいるのでその人たちにもよく言うんです。職人本間昇寄木細工に生きる

「ねえ、君たち。君たちはね、いい時代にいるんだよ」って。

まだ慣れないから「おい、鉋(かんな)の歯の調子が高いぞ。だから引っかかってるんだ」とか見ていて教えてあげられる。

何が嫌だったってね、なにしろ教えてくれないんですよ、親が。

教えないで叱るわけ。

絶えずそういうことをする。

で、ひどい時は玄能(げんのう)とか持ってるものをなんだって、バッとぶつけてくる。

そうすると10代だと当然嫌になっちゃいますよね。

教えないで叱るんだから。

そういうのはやっぱり、嫌だなあっていう思いはありましたね。

今でも思い出すけど一番嫌だったのは「ダメなものはダメだ。燃しちゃえ」って言われて作品を燃やしたこと。

あれは辛かった。

教えてもらえない。

でも叱られる。

そうすると日常、何か父親がやっている仕事や先輩がやっている仕事をよく見るようになる。

絶えず油断をしないようになる。

そして覚えていくわけ。

そういう仕込みなんですね。

「安易に教えてもらったことは忘れやすいけど涙を流して覚えたことは忘れない」

親が教えたかったことはそういうことですよね。

 

〇嫌な思いをしながらも乗り越えてこられたのは何だったとお考えですか。

それは「これをやるんだ」と自分で決めたから。

父親にやれと言われて16歳ではじめた仕事だけれども、2年、3年経って仕事を覚えたときに「俺はこれをやるんだ」と腹を決めたということですよ。

それじゃなかったらどこかで挫折していたでしょうね。

腹を決めるまでは2、3度辞めようと思ったこともあるし、父親と大喧嘩をしたこともあります。

兄弟が3人いましたけど、弟たちには何も言わないのに、自分にだけきつい。

あるとき聞いたことがあるんです。

「なんで俺だけ辛くあたる」って。

そうしたら「お前は長男だ。長男は一家を支える責任がある」

そう言われました。

当時は、何か家業をしていたら長男がやらなければいけない。

そういう時代でしたからね。

あと思い出すのはやはり母親の支えですよね。

思い返してみると、挫折しそうになった時に母親の支えがあったと思いますね。

 

〇今の若い人に伝えるとしたらどのようことを伝えたいでしょうか。

長い間自分がやってきて思うのは、すべては『決断』だということ。

仕事もそうだし、経営もそう。

これをやるんだという『決断』。

それと『持続』。

『決断』したら『持続』です。

それに加えるなら『運』ですね。

いくら『決断』して『持続』しても巡り合わせが悪い場合もある。

だから『運』もあるでしょうね。

それぞれの人生は。

でも果報は寝て待てってわけにはいかない。

『運』は何だっていうと、結局、普段の『努力』ですよ。

それが回りまわって活きてくるということでしょう。

普段何もしないでいたら『運』にはぶつからない。

『努力』の中で『運』が生まれてくるということでしょうね。

 

〇職人として経営者として自分をほめるとしたらどういうところでしょう。

寄木細工ヅクづくりそれはやはり『決断』ですよ。

場面にぶつかったときにどうやるかということ。

昭和23年、父親の尻にくっついて仕事を始めた。

そして25年の朝鮮戦争。

父親に叱られていろいろゴチャゴチャやっていた時代です。

それが終わって特需景気と言われる時代に入った。

でも、そこもまだ父親にくっついていた。

さて昭和30年代。

高度成長期と言われる時代に入ってからですよ。

私も10年やってきたから、自分なりの意見を父親にぶつけていくわけです。

その時に父親に言われたのは「生意気なことを言うな」と怒られた。

「小僧が7年。職人が7年。それから7年。腕を磨いて商売のこと、経営のことが分かってきたら生意気なことを言っていい。それまでは余計なことは言うな」って口を止められちゃいました。

それがどこで転換したか。

高度成長期の時代は大量生産、プラスチックの氾濫で使い捨ての時代ですよね。

そうすると寄木は値段が追い付かない。

今のように精度がいい機械がない時代です。

手作業でやらなければいけない仕事の工程が多いから値段が取り切れないわけです。

作れば売れるとはいえ単価が取り切れないからいい給料を払えない。

経営も危なくなってくる。

どこで寄木を離れるかという『決断』ですよね。

そこで東芝とか日本照明なんかの時代の品物に移った。

木の照明器具ですよね。

それから三菱レイヨンもやった。

赤井電機のオーディオもやった。

時代の金がとれる仕事にバッと転換したわけです。

何年かは。

オリエント商会っていう会社のミニチュア家具もやった。

そのうちに外国で日本がやっていたものもやるようになった。

忙しくて利益も出たけれども、すぐに外国でもやるようになって注文が薄くなってくる。

そして49年に伝産法(伝統的工芸品産業の振興に関する法律)ですよ。

ここがまた転換期。

そこで一気に寄木に戻った。

このときは父親とぶん殴りになりそうな大ゲンカをしましたね。

今までやってきた照明器具とかミニチュア家具、ベニスっていう会社の文具とかがトラックでバンバン出ていったときです。

仕事が順調のときですから「なぜまた寄木に戻るんだ」と父親が怒るわけですよ。

「いや、そうじゃないんだ。時代は、今、こうなんだ」って。

『決断』ですよね。

寄木細工から離れた人も多くいたけど、伝産法の指定でみんなが寄木細工に戻ってきた。

そして今度は高度な寄木細工に転換していった。

ですから結局は、巡り合わせ。

場面にぶつかった時にどういう『決断』をするかということですよね。

 

〇寄木に戻るという決断をしたのは経営的にいけるという判断があったんでしょうか。

ありましたね。

伝産法で伝統的工芸品の振興を国が図ってくるということが読めた。

そうすると、それにいかに乗るかということですよね。

なおかつ箱根という観光地。

これがどこかに売りに行くっていうと大変だけれども、お客さんが来てくれるんですから。

観光地で生産しているという地の利ですね。

過去を見れば、シーボルトだって箱根でお土産を買ったという記録がある。

昭和になって第二次大戦の前なんかは、みんなが箱根の土産物として寄木を買ってくれたんです。

その復活は大丈夫という確信がありました。

そういう見極めですよね。

 

〇これから伝統工芸をやりたいと思っている若い人に伝えるとしたらどんなことでしょう。

モノづくりをやりたいという人は多いけれど、なんか作家気分なんですよね。

この前もある業界の会合で、作家活動をしている人でしたけど「生活が大変です」と言ってました。

「そうだね。大変だね」ってその時は終わったけど。

職人が7で作家気分が3。

それでなきゃ食えないということですよ。

すべて職人気分で仕事をするのでは作品が伸びない。

だから作家がダメだとは言わない。

職人が7で何か新しい作品を作ろうっていう部分は3。

それで生活の基盤ができたら作家になっていいでしょう。

最初からそっちを狙ってもそれは挫折するでしょうね。

まず生活の基盤です。

そのためにはやはり売れるモノづくりを目指さなければダメ。

私が生きてきた人生の中ではそう思いますよね。

 

〇これからチャレンジしたいことはどんなことでしょう。

チャレンジなんていうほどの大それたことは考えていませんよ。

もう85ですからね(笑い)。

今は体力のある限りはモノづくりをしたいということぐらいですね。

 

〇それは職人としてのモノづくりでしょうか。作家としてでしょうか。

後者かもしれませんが、でも2か3は職人としてでしょうね。

先人が良いものを作っているんだから、やはり後世に残るものを作っていきたい。

そういう思いはありますね。

それには、今までの技術をどう活かすか。

昨年の伝統工芸展で新人賞を取った作品の講評では「寄木の脱皮・進化に挑まれた優作である」

そういうようなことが書かれていましたね。

 

〇今年の出品作はどういうものをお作りになられたんでしょう。

今は同じランクのもので考えています。

糸目のデザインですよね。

ある先生に「いきなり大変な賞を頂いて次はどうしたらいいでしょうか?」とお聞きしたら、

「今のものを続けて挑戦したっていいんじゃないですか」と言われてね。

「作家さんの多くは2年、3年と類似的なもので何か挑戦をしている」

とお二方の意見を聞いてですよね。

だから何も一回でお終りというんじゃなく、同じような形でそこにどういう変化を出すか。

中の文様を変えたりということですよね。

 


本間寄木美術館

◆ 本間寄木美術館

  神奈川県足柄下郡箱根町湯本84

  TEL   0460-85-5646

  開館時間 9:00~午後5:00

  http://www.yoseki-honma.com